厳島神社・・・♪

厳島神社に行って参りました。

京都から新幹線で広島駅へ。

鳥居引き1 

宿泊は駅から広電で10分程の広島三井ガーデンホテル。

ホテルは原爆ドームや美術館・広島城も

歩いて行ける所にあったのでとても便利でした。


広電 

翌日 朝から広電で約 1時間かけ宮島口へ。

そこからフェリーで10分 海中にそびえ立つ 朱塗りの

大鳥居が見えてきました。


フェリー 

京都と同じくこちらの観光客も海外からの方が

多いですね。

神社の創建は古く 推古天皇御即位の年(593)であると

伝えています。


大鳥居 

海の中に建つ 現代のような独創的な配置構成に

なったのは 仁安3年(1168) 平清盛によって造営されました。

宮城県の松島 京都の天橋立と並んで日本三景

安芸の宮島として知られ世界文化遺産に登録されています。


鹿1 

奈良と同じくこちらでも鹿さんが出迎えてくれます。

奈良の鹿に比べると痩せていて毛並みも悪いです。

鹿せんべいも売っていません。

鹿が増えすぎないよう 餌やり禁止が呼びかけられて

いるようです。


葉っぱと鹿 

それと現地の説明では人馴れした鹿は餌の匂いから

ゴミをあさってビニールなどを食べてしまい

胃の中にビニールの固まりが堆積してしまい

鹿が長生きできなくなっています。


鹿 

なので 鹿 本来の野生のくらしを守るため

観光客の皆様には ゴミ処理の徹底と鹿に餌を

与えないようとのことです。


回廊 

厳島神社の拝殿には 回廊を通っていきます。

本殿には市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

田心姫命(たごりひめのみこと)

湍津姫命(たぎつひめのみこと)が祀られています。


本殿 

建物のあちらこちらで 修復工事をされていました。

こちらの海に浮かぶ 舞台も神秘ですね。


舞台 

反橋は 勅使橋ともいい昔は勅使が参拝される時に

渡られていました。


反橋 


大鳥居をバックに写真をとるのは 順番待ちになります。


順番待ち 


宮島は急な坂や階段もあるので歩きやすい靴で来ることが必須です。


階段 

神社の横の石階段を上がっていくと豊国神社が

あります。


豊国神社 

豊臣秀吉が千部経読誦するために発願し建立しましたが

秀吉公没後 天井の板張りや建造物の外構など

完成を見ないままの姿で残っています。


床下 

その広さから「千畳閣」とも呼ばれています。

千畳閣の前には五重塔があります。


五重塔 

高さは27.6mなので 京都の東寺の五重塔の半分

位の高さになります。


マツ 

回りには他にも寺や神社があります。

ロープウェイもあり晴れた日には四国まで見える

眺望も楽しめます。


町 

この日は雨も降りかけていたので水族館の

方にいきました。

くえ 


午後2時には海の水が引き 鳥居まで歩いて

行けました。


柱 

皆さん 柱の隙間に コインをはめ込んだり

されてましたが 耐久力には問題がないのでしょうか?


鳥居近く 

表参道商店街に宮島の大杓子が展示されています。

樹齢270年のケヤキで作られています。

宮島杓子(しゃもじ)の由来は


しゃもじ 

18世紀末 修行僧 誓真が 島民救済の為 厳島神社の

参拝客のお土産に 夢に現れた弁才天の琵琶の形を基に

杓子を試作したのが始まりです。

杓子やもみじ饅頭作りも体験できますよ。




東海道53次ウォーク 第1回・・・♪

東海道53次ウォーク 第1回 三条大橋~山科・追分

というコースに参加してきました。

このコースの魅力は 歴史講師「ひげの梶さん」こと

梶本晃司氏がスタート前に東海道の魅力をご案内

して下さる。というところです。


梶さん1 

高島礼子の日本の古都でも わかりやすく

楽しく解説されているので 興味をもちました。

長距離を歩くのは苦手ですが この日は 16km

25,614歩 歩きました~


東海道石碑 

東海道53次ってそもそも何かというと・・

古くから栄えた 日本の東西の中心地を結ぶ 幹線道路で

同時にその行政区分を指す言葉です。

日本橋を起点とする 東海道の整備に着手したのは

徳川家康で1601年のことです。


やじさんきたさん 

宿場町が作られ 途中で馬にエサを与えたり 乗り換えたり

する 駅伝制が導入されました。

これが長距離を 短時間で結ぶ 駅の始まりなんですね。


車 

駅には専用の馬が数頭設置されていて 早馬を走らせ

手紙を配ったり 荷物を運んだりなど郵便局や

運送屋さんが すでにあったようです。


線路 

案内人の梶さん 曰く・・江戸時代を想像しながら歩くと

前から歩いてくる人が ちょんまげを 付けていて

走ってくるバイクが馬に見えてくるようですよ!


高山 

本日のコースのスタートは 豊臣秀吉が 天正18年(1590)

大改修した三条大橋を東に渡り 

三条京阪前にある有名な銅像 「高山彦九郎先生皇居望拝跡

」を通り 三条白川橋へ。


三条白川 

三条白川橋にある道標は 京都における現在最古の道標です。

交通量の多いところなので 車がぶつかり半分に折れ

修理した跡が残っています。

坂本龍馬と 奥さんになったお龍が結婚した式場前通り

粟田口へ。


粟田神社 

東海道を行き来する人々は こちらの粟田神社で

道中の無事を感謝してお参りされていたようです。

そのようなこともあり 今では 旅立ち守護・旅行安全

の神として知られるようになりました。


インクライン 

粟田口は粟田焼発祥の地で 寛永のはじめ頃 

三文字屋九右衛門が瀬戸より来て 粟田口三条に

窯を造ったのに始まるといわれています。


ねじりまんぼ 

日本最初の急速ろ過方式の浄水場として明治45年

京都市で初めて給水を開始した"蹴上浄水場"は

今ではツツジの名勝になり ゴールデンウイーク後半に

一般公開されています。楽しみですね。


廃墟 

今は観光名所になったこの辺り江戸時代は東海道の難所

日岡峠につづく高みで 幾度となく掘り下げが行われたようです。

また車道に車石舗装がされ 人馬道には 灯籠が建てられました。


車石 

昔は公開処刑場もあったようで 死者の霊を弔う 何基もの

供養塔が建てられました。

しかし明治初期の廃物稀釈や開発によって 破壊され

道路側溝の石垣石などにされてしまいました。


米 

昭和になり京津国道改良工事などで景色も一変しましたが

出土した供養塔の断片が題目碑として復元されており

当時の歴史を知る たよりとなっています。

この辺りは歩いてみて始めてわかる歴史の流れを

感じる所でした。


標識 

御陵には天智天皇陵につづく道があり この辺りの

地名にもなっています。

三条通五条橋道標が 京都薬科大学校舎北東の

旧東海道角にあります。


五条 

JR山科駅から近く 旧東海道沿いに残る古い道標です。

徳林庵では お地蔵さまを見せていただきました。


山科地蔵 

山科地蔵は東海道の守護佛とな 毎年8月22日

23日の六地蔵巡りが伝統行事となりました。

西国三十三所観音巡礼14番札所の三井寺観音堂を

横目にそろそろ本日のゴールへ。


三井 

この後 井筒八ツ橋さんで生八つ橋を試食して

休憩し お土産に走り餅を買いました。



走り井餅 

井筒八ツ橋さんの前に大きな坂上田村麻呂の像が

完成してました。


坂上田村麻呂 

西野山古墳の参道の基点であります追分の地に

旅の安全と国の平和を願い 建立されました。


梶さん3 

「梶さん」江戸時代の楽しいお話ありがとう



国宝・彦根城築城410年祭・・・♪

彦根城に行って参りました。

滋賀県 彦根市にある彦根城は JR彦根駅から

徒歩 15分位のフットワークなので楽に行けました。


入り口1 

只今 国宝・彦根城築城410年祭の真っ最中です。

期間は 2017年3月18日~12月10日までです。

私が行った日は 3月17日でまだ準備中でした!(>▽<)


アプローチ 

彦根城築城は 慶長9年(1604)より着工され

完成までに20年かけて築城されました。

徳川家康公の命により佐和山城を一掃するためでした。


郵便 

佐和山城は あの石田三成の居城です。

佐和山城は「関ケ原の戦い」後 井伊直政が入城しましたが

彦根城が完成後に廃城になりました。


白鳥 

彦根城は井伊家を城主とし 日本を開国にみちびいた

大老 井伊直弼(なおすけ)が居城としたことでも有名ですね。

直弼は36才で彦根城の藩主になり 44才の時に

アメリカ合衆国との間で日米修好通商条約を締結しました。


井伊直弼 

その結果 朝廷や水戸藩などの政治諸勢力との対立を

深めてしまいました。

直弼がこれらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件が

安政の大獄です。


大老碑 

この激しい政治抗争のすえ 安政7年(1860)3月3日

直弼は 江戸城桜田門外で水戸の浪士などにより

暗殺され 46才でその生涯をとじた 激動の時代を

駆け抜けた方でした。


博物館 

彦根城博物館には井伊家に伝わる美術工芸品や

能や茶器の愛蔵品 古文書の展示がいっぱいありました。

とても良かったです。


屏風 

「井伊の赤備え」と呼んだ甲冑や旗指物を朱色で統一

したのは徳川家康の指図によるものだったようです。


甲冑 

馬に水をかけたり 水を飲ます馬柄杓は徳川将軍から

もらったもので 「丸に三葉葵紋」があしらわれています。


柄杓 

12代井伊直亮が収集した日本を代表するコレクション

雅楽の楽器や絵画や能の面なども見ものです。


道具 

彦根城博物館は 江戸時代の彦根藩の政庁であった

表御殿を復元したものです。


茶室 

表御殿の中には能舞台や御座の間や茶室・庭園が復元され

館そのものが博物館として楽しめます。


能舞台 

江戸時代に建てられた能舞台で 今も狂言や能を

観賞することができます。


部屋 

彦根城天守へ登る山道は4箇所ありますが

その石段は非常に登りづらいと言われています。


坂道 

もともと城への石段は 万一敵が責め入った場合 

歩調が乱れ一息で登れないようにしています。


はし 

最初はゆるやかな登りが 登るにつれて斜度が

急になり登りにくくしてあります。


コーナー 

踏み幅や踏み高をわざと変えて 敵に対して

足元に注意を向けなければいけないように

なっています。


鐘 

この鐘は現在 午前6時 正午 3時 6時と1日に5回

つかれています。

これは「日本の音風景百選」に選ばれています。


天守閣 

天守閣に着くとひこにゃんが迎えてくれます。


ひこにゃん 

ひこにゃん登場時刻は ひこにゃんスケジュール

でチェックしてくだざい。


伊吹山 

展望台からみる景色は自然がいっぱい。

奥に見える雪山は伊吹山です。


天守閣中 

天守閣の中の階段は狭くて とても急なので

要注意!

名勝・玄宮楽々園も広いですよ。


楽々亭 

ここは彦根藩の下屋敷だったところです




国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅・・・♪

国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅に行って参りました。

叡山電車 岩倉駅から北に歩いて20分かかりました。

5年前に伺った時は地下鉄 国際会館駅から京都バスで

岩倉実相院で降りて3分のコースでした。


りんうんけん 

健脚な方は岩倉辺りを歩いてみるのもいいかも!

岩倉 の名は古代の磐座(いわくら)信仰・・天から降臨した

神が巨石に安座する・・からなりました。


岩座神社あと 

現在の山住神社にある巨石が神体となり岩座(いわくら)神社

と称されたのが地名の由来です。

岩倉 具視(ともみ)は江戸時代末期から明治時代初期に

活躍した公家・政治家です。


もん 

岩倉 具視は幕末 朝廷と江戸幕府の協力強化のため

公武合体を唱えました。

そして孝明天皇の妹の和宮と徳川将軍 家茂との婚姻を

成功させました。


あけび 

しかし結果的に和宮降嫁は朝廷の権威を弱めると考える

三条実美など13名の公卿が連名で 岩倉具視らをきびしく

攻撃することになりました。


マツ 

岩倉具視はこれに逆らわず 官位を返上して出家し

朝廷をさりました。

その後おとずれたのが 岩倉村です。


裏へ 

岩倉具視は元治元年(1864)~慶応3年(1867)までの

3年間を この岩倉具視幽棲旧宅で密かに暮らしました。

敷地内は 茅葺の主屋と 瓦葺の増築した部屋とつなぎ屋

が残っています。


茅葺き 

主屋にある大正ガラスを用いた障子戸には

桜や紅葉などが描かれた様子が残っています。


模様 

増築された部分は 大工職人である藤吉の住まいを

購入し主屋につないだものです。


増築 

具視は 悔しい思いを 持ち続け この場で

坂本龍馬や中岡慎太郎らと会合を重ね

自分の立場を倒幕へと転じました。


休憩 

1867年に明治天皇が即位し その後 岩倉具視は

罪を許されました。

王政復興を目指す大久保利通らに 具視が参内し

徳川慶喜の処分を求める「王政復古の大号令案」を

明治天皇に申し上げるまでに至りました。


炊飯 

明治4年には 岩倉使節団として 欧米各国を訪問し

以降 明治政府の主導権を握ることになりました。

岩倉具視は日本初の私鉄「日本鉄道」設立にも

参加した人物でもあります。


生け花 

明治憲法の制定に尽力しましたが病気がちな具視は

59歳で亡くなりました。

そして日本で初めての政府による国葬となりました。


遺髪碑 

旧宅には 岩倉具視の遺髪を埋葬した 岩倉村遺髪碑が

置かれています。

岩倉具視の遺品類を収蔵するため 対岳(たいがく)文庫が

昭和3年(1928)に武田吾一の設計で建設されました。


たいがく文庫 

岳は比叡山を指し その向かい側に住んでいるという

意味合いです。

対岳文庫には岩倉具視とその家族たちの資料などを

展示しています。

対岳文庫 


岩倉具視幽棲旧宅の入館料は300円ですが

京都・観光文化検定試験合格者は 2月・3月の

期間中は入場料が免除されますよ。

それとこちらは京都市が管理しているので

70才以上の京都市民も無料です~



妙心寺 大雄院・・・♪

妙心寺 大雄院(だいおういん)に行って参りました。

通常は拝観することは出来ませんが只今 京の冬の旅

非公開文化財特別公開中です♪


看板 

今年のテーマは「大政奉還150年記念」です。

徳川の時代から近代国家へ移り変わって行く

様子を見つめ直すよい機会です。


アプローチ 

大雄院は1603年に石河(いしこ)市正光忠により

父の菩提を弔うために創建されました。

豊臣から徳川へと移る時代で

二条城が完成し 徳川家康が 入城した時でした。


家紋 
  ★ 鶴が向き合う家紋


大雄院は石河家本流の香華所として

現在に至っています。

大雄院では 公開に際し 寺宝である観音図二幅の公開

京の宮絵師 安川如風氏の大作「曼荼羅図」などが

展示されていました。


庭 

観音図二幅は 今回の公開後 京都国立博物館へ寄託

されるので 事前に拝見でき良かったです。

本殿の襖絵は 江戸末期から明治初期に活躍されていた

柴田是真(ぜんし)作です。


向日葵 

向日葵の絵がJR東海 京の冬の旅のポスターに

なっています。

柴田是真は蒔絵師でもあります。

柴田是真の作品の中には 明治宮殿の天井画も

あります。


池 

明治宮殿は東京遷都に伴い 1888年に作られた宮殿でした。

京都御所を模した和風の外観に 椅子やシャンデリアの

ある洋風の内装という和洋折衷の建物でした。

残念ながら 第二次世界大戦中の戦火で焼失

してしまいました。

只今 その時の下絵の雰囲気を生かしながら

新たに京の宮絵師 安川如風先生が大雄院の

襖絵を描くことになりました。


襖絵 

平成30年4月に初回分の8枚が完成予定です。

お披露目会が楽しみですね。

大雄院では第一 第三土曜日に座禅会をされています。

他にも写仏や写経の体験もされているようです。

プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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