北野天満宮「史跡 御土居のもみじ苑」・・・♪

北野天満宮「史跡 御土居のもみじ苑」に行って参りました。

今年の紅葉は例年より約1週間早かったようで

昨年よりはどこも綺麗な 色付き具合だったようです。


入り口 

御土居のもみじ苑の公開は12月4日までの予定でしたが

まだ綺麗な景色が楽しめるので 11日まで延長になりました。

こちらの紅葉は12月6日の様子です。


もみじ1 

北野天満宮の境内西側の史跡御土居は 昔からの自然が残り

樹齢400年の 樹木も数本残っております。

御土居とは・・・


もみじ2 

豊臣秀吉が 京都の都市改造の一環として外から

おそいかかって来る敵や 鴨川の氾濫から市街を守る

堤防として 天正19年(1591)に築いた土塁です。


もみじ3 

土塁は京都市内の真ん中を囲むように東は鴨川・北は鷹ヶ峯

西は紙屋川・南は九条あたりに沿って築かれました。

その延長は22.5Kmに及び 土塁の内側を洛中

外側を洛外と呼びました。


境内1 

洛中は いわゆる碁盤の目状態一帯 下京・中京・上京区の

3区と南区・北区の一部です。

南端は現在「JR京都駅の0番のりばのホーム」です。

洛中と洛外の出入りがどこで どのようにされていたのかが

謎ですね。


境内2 

洛中と洛外の出入り口が 7口あったとされていて

鞍馬口・丹波口などの地名はその名残です。

実際には もっと出入り口があったとされる言い伝えも

あるようで これもまた謎です。


橋1 

出入口には番人を置いて管理されていました。

土塁の高さも 場所により様々で 3mから36mの所もあり

竹で覆われていたようです。


神主 

江戸時代の天下太平の世の中では 外敵からの攻撃もなく

御土居は次第に無用の存在となり 次々と取り壊され

北辺に僅かに名残をとどめるのみとなりました。


おどい 

昭和5年(1930)市内に残る御土居のうち8カ所が「史跡」に指定

昭和40年(1965)に 北野天満宮境内が追加され

現在9カ所が指定地となっています。

京都の都市の発達をたどる重要な遺構ですね。


悪水口 

こちらは暗渠取水口です。

御土居には内側から外側への排水をさえぎって

しまうという問題がありました。

北野天満宮ではこのような導水路を設けて 雨水などが

神域を侵さないような配慮がされています。


図 

こちらの御土居の幅は19.3mあるようです。

昔だと 洛外から御土居を眺めている感じですね。

以前はこの紙屋川からの氾濫を防ぐために設置

されたのでしょう。


紙屋川 

今年は境内の西側にお庭が作られ11月3日には

「曲水の宴」が開催されました。


曲水 

曲水の宴といえば城南宮や上賀茂神社が有名ですが

北野天満宮でも千百余年ぶりの復興とのことです。

菅原道真公が「和魂漢才」と 日本古来の心と伝統の

文化や学問の両方を兼ね備えることが必要。っと

説いたことから 和歌と漢詩の両方が詠まれます。


和魂漢才 

もみじ苑の北西に「和魂漢才」の碑があります。

また7月にはこちらで 御手洗祭が行われました。


御手洗祭 

御手洗祭と言えば 下鴨神社有名ですが

実は 北野天満宮では江戸時代まで 七夕の日に

水に足を付けて厄を祓う御手洗祭を続けていたようです。

それが明治以降は縮小していたそう。


足付け 

今年はかなり勢いよく 昔からあった行事を復活し

観光客を楽しませているようです。

来年も また新しい催しが 期待できそうな北野天満宮です。

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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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