織田信長公本廟所の阿弥陀寺・・・♪

織田信長公本廟所の阿弥陀寺に行って参りました。

こちらには本能寺の変で 自刀した織田信長のお墓があります。

場所は 京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町 です。


もん


近くには江戸時代から評判の名物菓子・鎌餅があります。

昔 洛中と街道をむすぶ出入口のことを七口と呼んだ

その出口の一つ 鞍馬口の茶店で売られたお菓子です。


だいこくや


鎌に似た形状から命名され 豊作を祈るためのお菓子でも

あります。

老舗の大黒屋鎌餅本舗が販売しています。


阿弥陀寺の本尊は阿弥陀如来。

天文年間(1532-55)に近江の坂本から 今出川大宮に移りました。

106代 正親町天皇や織田信長の尽力により広大な伽藍が整いました。


なか


開山の清玉(せいぎょく)上人と織田信長には深い関係があります。

信長の父 信秀が尾張を行軍していたとき 路上で苦しんでいる

妊婦に出会いました。

信秀は医師に命じて薬を与えるなどの介護をしましたが

効果なく妊婦は間もなく亡くなりました。


ほんびょう


しかし 幸いにも 子供は助かり織田家で育てらました。

この子供が 後の清玉上人になったのです。

13歳で南都興福寺に入り修行 後に近江坂本で阿弥陀寺を開創した

と言うことです。


かんばん


昨日まで家臣だった 明智光秀の裏切りにより命を落とすことになった

本能寺の変の時 信長の最後の命令は「死骸を敵に渡すな」でした。

という事でした。

本能寺の変を知った 清玉上人は 塔頭寺院の僧侶 20人程を連れて

駆けつけました。


のぶなが


すでに信長は家来達が遺言に従って遺骸を焼いているとき

清玉上人は織田家との関係を家来に話し 信長の遺灰を貰い受け

阿弥陀寺へ戻り葬りました。

本能寺の僧のフリをして 明智軍をかわし信長の遺骨を

無事救出できたのですね。


らんまる


更に翌日 二条城で討ち死にした信長の長男 信忠や家臣の遺骸を

収容し 一人ひとりに法名を授与し埋葬しました。

後に豊臣秀吉による天正18年(1590)から始められた都市改造で

阿弥陀寺は蓮台野から現在の場所に移転されました。


りゅう


そして寺地は従来の八分の一に縮小され現在の 約3,000坪になりました。

阿弥陀寺では 毎年「本能寺の変」の起きた6月2日に

「信長忌」として追善供養が行われています。


ごしゅいん


普段は非公開となっている堂内も この日には特別に公開されますので

ぜひこの日に合わせて足を運ばれてみては如何ですか


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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