鳴虎(なきとら)の報恩寺・・・♪

京の冬の旅シリーズの中から 今回は報恩寺(ほうおんじ)です。

こちらは 鳴虎(なきとら)の報恩寺として有名です。

中国の画人四明陶佾(しめいとういつ)が描く猛虎の絵を

豊臣秀吉の所望により聚楽第の床へ飾ったところ

夜中に虎の鳴き声が聞こえ 秀吉は一晩中安眠できませんでした。


かんばん


なので すぐに寺へ戻されたことから鳴虎といわれる様になりました。

虎が谷川で水を飲もうとする姿の上には古松に二羽の

カササギが羽を休め深山幽谷の景が描写されています。

本物の絵は寅年の正月三が日に限り公開されます。


とら


只今見学できる絵はコピーですが素適です。

住所は 京都市上京区小川通寺之内下る射場町579番地

堀川寺之内のバス停すぐのところにあります。


にわいし


また報恩寺は NTK大河ドラマ黒田官兵衛の長男

黒田 長政(くろだ ながまさ)が入洛した際の宿舎でした。


いりぐち


そして持病の発作で元和9年(1623)8月4日に報恩寺客殿にて

往生されました。

客殿仏間には鎌倉時代の名仏師 快慶作と伝わる

本尊・阿弥陀三尊像が安置されており

黒田 長政と父の官兵衛の位牌が残されています。


やね


また境内に残る平安時代後期の梵鐘は全面に梵字が

刻まれています。


この梵鐘は「撞かずの鐘」とよばれ哀しいエピソードが

伝えられています。


しょうろう



それは・・・

この辺りは西陣の織屋が軒を並べるところで

昔はこの寺の朝夕の梵鐘で仕事のはじめと終りを知っていました。

昔 13才の織子と15才の丁稚は日頃から仲が悪く ある時

夕暮れの鐘がいくつなるのかの言い争いで

織子が九つ 丁稚が八つ。


かね



ずるい丁稚は鐘を撞く寺男に「今日は八つついて」と

こっそり頼みました。

いよいよ二人が息をころして鐘の数に耳をすませると

今日にかぎって九つならない。

織子は あまりの悔しさに鐘楼に登り首をつって死んでしまったとか。

以後 除夜の鐘以外は撞かなくなったということです。






スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

カレンダー(月別)
06 ≪│2017/07│≫ 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ベストセラー