「未来の国宝つくり」奥谷組・・・♪

古建築の伝統技法の素晴らしさを今に伝えている

株式会社 奥谷組の資料館見学に行ってまいりました。

場所は阪急西京極駅から南の方に歩いて15分程の所にあります。


おくたにくみ


住所は  京都市南区吉祥院向田東町8番地 です。

奥谷組は明治20年に奥谷勘兵衛(初代)が三重県上野市にて

宮大工として創業したことに始まります。

昭和42年に本社を現所在地へ移され 現在の千田日出雄社長は5代目です。


とらっく


奥谷組の古建築は京都だけではなく 全国日本各地で素晴らしい

神社仏閣建築を見ることができます。

北は網走の西のサロマ湖から南は宮崎県と全国からの依頼があり

たいへん忙しく 右肩上がりの会社です。

しょうじょう



京都では知恩院三門の修理 智積院の明王殿を大雲院から移築

本願寺の御影堂 北野天満宮 宝物殿など限りなくあります。

現在改修中の宇治の平等院の瓦葺きもされています。

東福寺の三門修理が記録として残っている中では一番古い物になるようです。


まるた



建物だけではなく三条大橋・宇治橋・石清水八幡の東にある

安居橋(あんごばし)などの高欄(こうらん)も造られています。

奥谷組の特徴は戦後職人を持たない建築会社が普通になってしまった中

社員として宮大工さんを抱えています。


いた



そして丸太を買って自分ところで使う化粧材(柱など)は自社で製材をする

土木一貫システムで効率よく素晴らしい作品をつくりあげています。

宮大工さんが沢山いらっしゃり 確かな技術に裏打ちされ

全てが整い いい仕事をされています。


はしら



会社の夢は「未来の国宝つくり」ということです。

社長いわく 国宝はいろんな意味で優れている。

構造的にもすぐれているので地震にも耐えてきた。

バランスがよいので 見た目もいい。

なのでそれを真似ねて 伝えていくことは間違いがないということです。


てさき



歴史的に残っていける建物は バランスのとれた良い物をつくること。

奥谷組には営業マンはいませんが過去から造り続けてきた

建物が営業してくれていることに感謝している。

何よりも 時の流れに耐え続け 歴史のなかに残るものを造りたい。

とのことです。


ぎぼし



仕事をもらうと最初にすることは原寸で描いて型板をとることです。

大きなお堂になると型板をとるのに広いスペースが必要になります。

宮大工の「隠し技」といえる継ぎ手や仕口。

台形や三角形 長方形を組み合わせ さまざまな形で

部材が抜けない工夫をしています。


つぎ


平安の頃に完成した建物は檜皮葺が多いです。

檜皮葺は軽いので軒が優美に長く伸ばしすことができた

特徴があったようです。

昔は安かった檜皮も現在は檜皮の材料費が一番高く

1平方メートルが15万円ほどするようです。


くぎかくし


昔は銅版が一番高くあかがね御殿と呼ばれたので徳川の時代の

日光東照宮は銅版になっています。

しかし戦後物価がずーっと変わらなかったのが卵と銅版と言われるくらい

値段が上がらなかったので現在一番安いのが銅版のようです。


つみき



コンクリートの建物は変形してはいけない ラーメン構造で足元も固定します。

木像は積み木のようにケタ・ヒジキ・マスと順番に力を

垂直方向に伝えていくピン構造になっています。

木は横に使うと圧縮に弱いですが 縦に使うとコンクリート

1センチあたりの加重でいうと檜の方が強いようです。


やね



横に使うと弱いが縦に使うと強い木の柱は地面の石に

直接荷重を伝えるようになっています。

などなど とっても勉強になりました
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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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