北政所がすごした「圓徳院」・・・♪

ねねの道を挟んで 高台寺の向かいにある「圓徳院」は

豊臣秀吉の妻 北政所ねね 終焉の地です。


ねねのみち



豊臣秀吉の没後 ねねは「高台院」の号を後陽成天皇からいただき

高台寺建立を願いおこし 秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と

その前庭を山内に移築して移り住みました。

えんとくいん



方丈には 長谷川等伯の水墨画が描かれている襖があります。

撮影禁止で残念です。

この長谷川等伯は 豊臣秀吉にとても期待されていた方でした。

狩野派に押されがちだった 長谷川等伯が力をつけたのは

秀吉の子の3歳で亡くなってしまった 鶴松の菩提を弔うために

つくられた祥雲寺の襖絵を描いてからです。

この寺は豊臣氏滅亡後 智積院となりました。

等伯も一緒に襖絵を描いた 息子の久蔵(きゅうぞう)を

突然の病気で亡くしてしまいました(-_-;)


もん



伏見城の前庭は 江戸時代の作庭家 小堀遠州が手を加えました。

「北庭」は日本国指定名勝のひとつに指定されています。



きたにわ


多数の巨岩が置かれているところが 桃山時代の豪華さを

表しているようです。

大広間もお庭もとても広く禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等

多くの文化人が 北政所を慕って訪れた様子が想像できます。

ひろま



ねねは58歳から77歳で没するまで19年間この地で余生を送り

ここは北政所の終焉の地となりました。

こちらは 江戸時代から残る茶室です。


ちゃしつ


そのねねを支えていたのが 兄の木下家定とその次男の利房です。

圓徳院は利房の手により 高台寺の三江和尚を開基に

木下家の菩提寺として開かれ 高台寺の塔頭とされました。


しょうてんびじゅつかん


圓徳院の並びに「高台寺掌美術館」があり 高台寺ゆかりの

品々が展示されています♪

いりぐち



蒔絵の名宝や 桃山時代・江戸時代・明治時代各時代の調度品等

北政所が使用していたかもしれない美しい箪笥などがありましたよ


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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