女性門主がいた 「佛光寺」・・・♪

京都の町の真ん中にある 大きなお寺 「佛光寺」です。

真宗佛光寺派の本山で 本尊は阿弥陀如来です。

春には秩父宮妃・お手植えの 枝垂れ桜が見事に咲き誇ります。


しだれ


そして毎朝6時45分から1分間隔でゴーンっと15回 鐘がつかれます。

ご近所の方々の 目覚ましになっています。

住所は 京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397番地 です。


鐘楼


佛光寺は浄土真宗の開祖で知られる親鸞(しんらん)が

流罪から開放され 建暦2年(1212)に山科に一宇を建立した

のが始まりです。


しし


最初は「興隆正法寺」と呼ばれていました。

現在の寺号は"後醍醐天皇"が東南の方向から一筋の光が差し込む

夢を見たという場所に 興正寺の盗まれた阿弥陀如来の

木像が出てきた!という霊験に由来し

「阿弥陀佛光寺」の勅額を賜ったことにちなみます。

そして豊臣秀吉の懇請により 現在の場所に移されました。


たかつじ


北側にある「仏光寺通り」もこの寺にちなみます。

そしてこちらが「仏光寺藤」と呼ばれる寺紋です。


ぶこうじふじ


親鸞が35才の頃 なぜ 流罪になったかというと・・・

奈良の興福寺が 朝廷に念仏禁止を訴えていた時に

親鸞の念仏教団にとって大変困った事件がおきてしまいました(-_-;)


はと


それは 住蓮・安楽という法然上人の弟子が 念仏の集会を催したところ

後鳥羽上皇に仕えていた女官が参加し 教えに共感をうけ

髪をおろしてしまいました。

これを聞いた後鳥羽上皇は激怒しました。


ほんどう


そして興福寺の訴えを受け入れ 承元元年(1207)に風紀を

乱すものとして念仏教団を解散させてしまいました。

そして 住蓮・安楽らは死罪になりました。


もん


法然は土佐国番田へ・親鸞は越後国国府(新潟県)へ配流となり

以後 親鸞は法然との再会はありませんでした。


いど


これが世にいう「承元の法難(じょうげんのほうなん)」で

仏教史上 類をみない弾圧事件でした・・・


ろうか


なお 「佛光寺」には室町時代と明治時代には 女性門主がいました。

特に明治の真意尼公は 蛤御門の変で被害をうけた諸堂を

再興したことでしられます~ (o^_^o) /


しょうろう


大師堂は 側面は33メートルもの巨大な伽藍で

中には 親鸞の像が安置されています。

大師堂と阿弥陀堂は渡り廊下で繋がれています。

大師堂に上って静かなひとときを過ごせますよ


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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