鷹峯檀林旧跡 洛北 常照寺・・・♪

鷹峯(たかがみね)エリアにある 常照寺(じょうしょうじ)に

行ってきました。

この辺りは 山里風景を眺めながら散策する のどかな所なんです♪


じょうしょうじまえ


江戸時代には 周山街道への 重要な物資の集散地として栄え

宿場を持つようになりました。

茶・陶芸・絵画などの分野で活躍した本阿弥光悦が

徳川家康から与えられた土地に 芸術村を開いた所が鷹峯です。


みちしるべ


住所は 京都市北区鷹峰北鷹峰町45 

市バス「鷹峰源光庵前」下車 徒歩3分です。

日蓮宗中輿の祖といわれる日乾(にちけん)上人が 本阿弥光悦から土地寄進を

受けて開いた鷹峰檀林(だんりん)「仏教の学問所」の旧跡です。


ほんどう


往時は広大な境内に30余棟の堂宇が建ち並び多くの学僧が学ぶ寺でありました。

そして 常照寺は 日乾上人に帰依した"吉野太夫"ゆかりの寺として知られています。

有名な朱塗りの「吉野門」があります。


よしのもん


日乾上人の学徳に帰依した吉野太夫がわずか年齢23歳の時に自ら

巨財を投じて朱塗りの山門を寄進したものです。

京の遊郭で天下の名妓とうたわれこの二代目"吉野太夫"とは

本名は松田徳子といい 東山のあたりで武士の娘として生まれました。


びでおへや


7才の時に父が亡くなり 六条三筋町の廓(くるわ)「扇屋」に

預けられることになりました。

そして 禿(かむろ)として遊女になる前の見習い期間の時から

美しさは際立ち 遠く中国にまで知れていたようです。


けいだい1


14歳の若さで太夫の位につきました。

和歌・連歌・俳諧に優れていて 琴・琵琶・笙が巧みであり

さらに書道・茶道・香道・華道・貝覆い・囲碁・双六を極めました。

当時の太夫は御所に上ることのできる位をさずかり

天皇・公家・武家など上流社会の華でした。


しゅうがくりょこう


そんな吉野太夫を射止めたのが豪商灰屋紹益(はいやじょうえき)です。

灰屋紹益は 公卿と張り合い 千三百両で吉野太夫26才の時に

身請しました。

灰屋とは 徳川時代藍染め用の商いで巨大な富を築いていました。


おはか


しかし幸せは長く続かず吉野は38才の時に病気で亡くなってしまいました。

悲しんだ紹益は 吉野を荼毘に付した後 その遺灰を壺の中に

残らず納め遺灰を毎日少しずつ酒盃の中に入れて

吉野を偲びながら全部飲んでしまいました~(T_T;)


びでお


常照寺ではこのようなお寺の15分ほどの説明映像を

見せていただき"吉野太夫"のことがよくわかります。


いほうあん


吉野太夫の好んだ大丸窓(吉野窓)を配した「遺芳庵」では

毎月佳人を忍んで釜がかけられて賑わいます。


よしのまど


また4月の第2日曜には島原の太夫道中による墓参 供茶法要が

営まれ境内の随所に野点茶席が設けられます。

ずーっと前に行ったことがありますが 桜もきれいで

すごく華やかでいいですよ

他にも全国でも唯一の女性の象徴の帯に感謝した「帯塚」があります。


おびずか


塚石は四国吉野産の吉野石を用い 作庭は「昭和の小堀遠州」と

称えられた造園家"中根金作"です。


境内の北奥には「白馬池」があります。

はくばいけ


この付近に白馬に乗った仙人が住していたという伝説がありました。

緑がきれいな畔に白馬観音像が祀られています。


うま


境内は奥に広く石壇の傾斜も多く 景色を眺めながら

廻っているとみごたえもあり良いところでした


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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