西陣あたりと伝説の「足抜き地蔵」さん・・・♪

鳴虎 報恩寺の門前にある素敵な建物は「河村織物株式会社」です。

一般の帯だけでなく 大相撲横綱朝青龍関の化粧回し(赤富士)や

皇室一般参賀 皇后陛下のドレス生地製作もされています。


かわむらおりもの


平成元年に本社社屋を修復する折り ビル建設ではなく

伝統的和風建設を建てられました。

映画「華麗なる一族」や他ドラマの撮影にも使用されました。


でんとうてきわふうけんちく


市川海老蔵・麻央夫妻も結婚当初にいらしゃったようです。


この辺りは応仁の乱の際 細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の

両軍が 橋を経て戦った戦国乱世の歴史が 刻まれたところです。

この石は「百々橋」の礎石の一つです。


どどばしあと


昭和38年に小川が埋め立てられた際 橋材の大部分は洛西ニュータウンに

移され 竹林公園内に復元されています。

その様子は以前のブログで紹介しています。


堀川通を挟んで西側の 上京区大宮寺之内東入ル妙蓮寺前町

には伝説の「足抜き地蔵」さんが祀ってあります。


みょうれんじちょう


江戸末期 下京の遊郭島原にあった「足止め地蔵」と呼ばれていたものです。

廓の女将が足抜きした遊女を捜す為にお参りすると 三日とたたないうちに

遊女を見つけ出していました。


おじぞうさん


そんな京の遊郭 島原を舞台にして 西陣の職人と遊女が恋に落ちました。

遊女はついに一大決心「足抜きしてあの人と一諸になろう」

足止め地蔵さえ無くなれば 見つけられずにすむと思い 石地蔵を

背中に背負って逃げ出しました。


あしぬきじぞう
  ★後ろ真ん中の白いお地蔵さんです♪


彼氏の待つ大宮寺之内の“灰屋図子”へたどりつくなり 彼氏の家の前で

バッタリ。その後二人は幸せな人生を送ったという。

そのお地蔵さんは路地の一角に鎮座 その名も“足抜き地蔵”と改められ

"灰屋厨子"の守り神となりました。


はいやのずし


この話には後日談があります。

昭和になって島原の楼主が路地にきて「この地蔵さんは元は島原のもの。

ぜひ引き取りたい」と長屋の人たちと交渉。


おおみやどうり


かなりのお金を出すというので「売り渡そう!」と決まりました。が

その夜 長屋のある人に地蔵がのり移って

「私はは島原へは帰りません。幾多の遊女を苦しめた悪い地蔵です。


にしじんしょうがっこう


修行のために この路地に来ました。まだ修行が足りていないので帰さんといて」

とのお告げ。 この一声に感激した長屋の人たちは売る方針を改め

以後 守り神として祀りました\( ̄▽ ̄)/


にしじん



灰屋図子は"灰屋紹益(はいやじょうえき)"を代表とする灰屋一族が

住まいした所です。


たいしょうろまん


南北朝時代より紺灰を業とし 紺灰座・紺座を支配していた京都の富商。

紺灰とは 藍玉から紺色の染料をとるとき 藍を発酵させるために

用いる木炭のことです。

茶屋・角倉・後藤といった豪商と肩を並べる存在になっていました。


ほんあみこうえつ


"灰屋紹益"の妻は本阿弥光悦の娘と伝え その死後

島原の二代目吉野太夫を身請しました


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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