「上御霊神社」と応仁の乱勃発の地・・・♪

地下鉄の鞍馬口より東に行くと「御霊神社」があります。

1000年以上の歴史をもつ「上御霊神社」の前には名物のお菓子

「唐板(からいた)」があります。


こみごりょうじんじゃ


悪霊退散のための御霊会が開かれた時に厄除けとして

ふるまわれたお菓子です。

明治維新まで皇室は皇子が誕生するたびに御霊神社へ参拝し

「唐板」をお土産にしたという。


からいた


そのお菓子を「水田玉雲堂」が500年以上守り伝えている・・・と

京都検定のテキストに載っているのに"しばらく休みます"の

貼り紙がありました。・・・残念です~(T_T;)

「上御霊神社」は平安遷都の時に"早良親王"らの怨霊を鎮めるために

祀られました。


はいでん


"早良親王"は平安京を遷都した"桓武天皇"の弟です。

この地は以前より勢力をもっていた出雲氏の鎮守社があったようです。


ばしょう


私がこの近くの学校の学生だった頃 時代劇などの撮影によく

使われていました。

御霊の森は敷地はひろく人も少ないのでいいんでしょうね。


はいでん


たぶん暴れん坊将軍や水戸黄門だったと思います。

近くの鴨川や相国寺も京都の撮影スポットです。


ところで 御霊神社といえば

はいく


応仁の乱の口火を切り合戦が繰り広げられた場所です。

日本全国を東西 に分けて 11年間も続き 京の都をぼろぼろの

焼け野原にした戦いです。


いなりしゃ


応仁の乱の原因の一つとなった将軍家の後継者争い

8代将軍の足利義政の"弟・義視" か "実子・義尚"かをめぐって


とりい


No1.弟・義視を細川勝元(東軍) VS 実子・義尚を山名宗全(西軍)

No2.畠山政長(まさなが・東軍)と畠山義就(よしなり・西軍)

No3.斯波義敏(よしとし・東軍)と斯波義廉(よしかど・西軍)


こども


応仁元年1月(1467) No2.畠山の「御霊社での合戦」が

応仁の乱の始まりでした。

文明9年11月(1477)応仁の乱は最終的に決着つかずだったようです


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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