国宝の庫裏が素敵な妙法院・・・♪

東山七条にある妙法院は梶井門跡(三千院)・青蓮院門跡とともに

三門跡の一つとされ 格式の高さを誇っています。


ちょくしもん



皇后門跡 あるいは新日吉(いまひえ)門跡とも呼ばれます。


みょうほういん


境内を囲む土塀にも5本線が入り格式の高さを誇っています。


にわ



暦応3年(1340)に婆沙羅(ばさら)大名の佐々木道誉(どうよ)の子

秀綱とその家来が小鷹狩の帰りに妙法院の庭紅葉の枝を気に入り枝を折った

ことから争いとなりました。

これを聞いた佐々木道誉は すぐさま三百余騎を率いて 妙法院を焼き討ちにしました。

すごい時代背景があったのですね。


もみじ


その後の応仁の乱で焼失しましたが 豊臣秀吉が方広寺を建立する時に

妙法院を経堂とし その寄進を受けて復興しました。


もん


国宝の庫裏は桃山時代の造営です。

庫裏とは台所のことです。台所が国宝になって所は珍しいと

思うのですが見ると国宝になったことが良く分ります。


くり


方広寺の大仏殿が完成し 経堂とされた妙法院において 豊臣秀吉の両親や先祖の

菩提を弔うため 当時の日本仏教の八宗の僧を1000人以上集めた

「千僧供養」が行われました。


やね


この三段屋根の外観をもつ 素晴らしい台所で僧侶の食事が用意されたんですね。

一番上の屋根から煙が出ていた煙突にしておくには勿体ない様な気がします。

この屋根の複雑な造りが見たくて 境内の中に入ってきました。



ほんでん


拝見したいのが 国宝の「ポルトガル国印度副王信書」です。

インドシナ半島にあったポルトガル領ゴアの副王から秀吉に宛てた親書で

羊皮紙に極彩色の絵が書かれいるようです。

内容は秀吉に対してキリシタンに対する弾圧を緩和する様に求めた

ものとされています。



めいじてんのう


妙法院は八・一八の政変の際の七卿落ちの舞台となった場所です。

薩摩藩と会津藩らの公武合体派に御所を追われた三条実美ら七人の

尊攘派公卿は一旦この妙法院に入り密儀をかわしました。



しんでん


そして西国へ落ちる事を決意した場所が宸殿だったと伝わります。

次回の特別公開には是非拝見したい寺院です


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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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