西福寺の「地獄絵図(六道十界図)」・・・♪

六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の北にある 西福寺(さいふくじ)です。

平安時代にはこの地域には人骨が散乱していました。


さいふくじ


この髑髏(どくろ)の散乱した原野を「髑髏原(どくろがはら)」と言いました。

「髑髏町」と呼ばれていたのは江戸時代初期までで

轆轤挽職人が多く住むところから、京都所司代の命により

「轆轤(ろくろ)町」に変更されました。


ろくどうのつじ


この六波羅は 嵯峨野の「化野(あだしの)」 船岡山西一帯の「蓮台野(れんだいの)」と

並んで平安京の三大葬送地といわれる 「鳥辺野(とりべの)」の入口です。

あの世とこの世の境界の地と考えられました。


西福寺の向かいには 有名な「幽霊子育飴」のお店もあります。


こぞたてあめ


忙しいですか? と尋ねたら 「ボチボチです」と 言われていました。


あめ



西福寺は 平安時代初期の嵯峨天皇の時代 弘法大師空海が 地蔵堂を建立し

自作の地蔵尊像を祀ったのが始まりと伝えられています。


こうぼうたいし



嵯峨天皇の皇后 檀林皇后は 弘法大師に帰依したと伝えられています。


だんりんこうごう


皇子正良親王が病気となった際には、皇后は病気回復を

この「六道の辻」地蔵尊に祈願しました。


おまえり


皇子は無事回復し 仁明天皇となったので この地蔵尊を「子育て地蔵」

「六はら地蔵」と呼ぶようになったそうです。


「壇林皇后九想図」

だんりんこうごう


檀林皇后は 鳥や獣の飢を救い 諸行無常を我が身をもって示すため

自分の死後に埋葬を禁じて道端で朽ちるにまかせ

絵師に描かせたという伝説が残っています。


「地獄絵図(六道十界図)」も 公開されていました。

地獄絵の真ん中に、「心」という一文字が記されています。


じごくえ


閻魔大王に書記官達が上部に描かれ 裁決を下しています。


えんましょき


裁決の下った者たちを 懲らしめているのは 鬼達です。

地獄には 行きたくないですね



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プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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