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閑臥庵(かんがあん)で京懐石普茶料理・・・♪

閑臥庵(かんがあん)で京懐石普茶料理をいただいてまいりました。

地下鉄鞍馬口駅から東に3分位の所にある黄檗宗の禅寺です。

門


江戸時代前期には後陽成天皇の第十五皇子である梶井常修院宮の院邸でした。


羅漢

天台座主を務め 茶道や書・和歌に秀でていた梶井常修院宮は金森宗和の

茶の流れを汲み 後西天皇や近衛家煕(いえひろ)らに茶道を伝授し

公家の茶を体系化していった人物とされています。


玄関

後に兄の後水尾法皇の夢枕に父の後陽成天皇からの言葉・・

王城鎮護のために貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)を

この地に歓請せよとのこと。


鎮宅

そして黄檗山 萬福寺管長 千呆(せんがい)禅師を招いて

1671年に開山したのが当寺の起こりです。


庭入り口

鎮宅霊符神は平安時代中頃 円融天皇が方除・厄除の霊神として

祀ったもので 安倍晴明に頼んで任せお堂に安置して

供養されたと伝えられています。


本堂前

そのような閑臥庵でいただく京懐石普茶料理は準備の都合上

2人から予約して伺います。


お茶

まずは一服 お抹茶をいただきます。


盛り合わせ2

普茶料理は江戸時代初期に 黄檗宗の伝来とともに伝わってきました。


汁

普茶とは普(ひろ)く多数の人にお茶を差し上げると言う意味です。


花

もともとは お寺での行事についての協議や打ち合わせの時に


もり3

茶礼という儀式を行い その後の 慰労会で出される精進料理です。


くり

黄檗宗の開祖 隠元禅師が伝えたもので 300年以上の伝統を持ちます。


そうめん

季節の新鮮な素材を使い 高タンパクで低カロリーな普茶料理は


御飯

ダイエット中の女性にピッタリのメニューですね。

和え物

他にもいろいろ・・・



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四条麩屋町の斎竹建て・・・♪

7月17日 前祭の鉾巡行で先頭の長刀鉾の稚児が

しめ縄をカットするハイライトシーンがあります。

しめ縄切

そのしめ縄を取り付けるための竹が四条通麩屋町に

建てられるので見てきました。


トラック

7月15日朝 私が 到着した4時30分には既に竹は洛西から

トラックで運ばれていました。


わたる

この竹は深夜2時にカットされたばかりの青竹です。

交通量の少ない早朝に作業はおこなわれます。

長い竹はトラックから随分はみ出して運ばれてきました。

つける

しめ縄を張るために 道路を挟んで背の高い2本の青竹が建てられます。

この竹を斎竹(いみたけ)といわれ 15mの高さにカットして揃えます。

そして下から8mのところに榊を飾り紙垂(しで)が100枚下げられます。

しで

紙垂は 雷光・稲妻をイメージし 邪悪なものを追い払うようです。

しめ縄は神域の境界を示す縄で八坂神社を正面に見る位置に張られ

ます(17日)。

四条通

予め 7月10日に高橋町の役員が 八坂神社へ高橋町社参を行い

しめ縄が授与されます。


わたる

この作業は 古来より高橋町の方々のお役目とされています。

高橋町は仏光寺東洞院あたりで昔 祇園祭が始まったころから

その四方に斎竹を立て巡行の列を作ったと祇園会起源に

書かれています。


うえ

そこには悪王子神社がありスサノヲノミコトが祀られていました。

悪王子神社は現在は八坂神社の中に祀られていますので

高橋町には悪王子社の祠が祀られています。


悪王子社

竹と柱をしっかりと固定して縄を海老の形に縛り 縄の先はほぐして

綺麗にカットしてそろえます。


ほぐす

そして足元に盛り塩が供えられます。


しお

2本建て終わったのは6時30分ごろだったと思います。

ご苦労様でした。

おれい

このころになると烏丸通蛸薬師下ルにある御手洗井(みてらいい)

の井戸も開放され24日後祭が終わるまで皆さん誰でも


御手洗井

井戸水をいただくことができます。

四条通壬生にある元祇園社では「御供石」にしめ縄をはり

元祇園

山鉾巡行のときに石の上に神饌をおき神様にお供えされます。


ごくいし

「御供石」は下京区万寿寺通烏丸西入にありましたが

昭和7年にこちらに移されたようです。

祇園祭の間はあちらこちらでいろんな神事がされているのですね。




貴船の川床と和泉式部・・・♪

7月11日 貴船川の川床を楽しみの「右源太」さんに

いってまいりました。


右源太

でも雨降りだったのでお店の中でのお食事で予定の

川床はお部屋から眺めていました。


川床

今年の7月はどこも涼しいですが こちらは22°と肌寒い感じでした。

こちらの右源太さんは 江戸時代まで代々貴船神社の

社家(神主業)を務めてこられました。

川流れ

明治になり明治政府の「寺社没収」で社家の職を追われた

七代目右源太は 山林業と炭の販売を生業とするようになりました。

十代目 昭和30年代なかばから宿屋と飯屋を始め 

それが料理旅館 右源太となり現在に至ります。(右源太パンフより)

あゆ

奥深い 歴史のあるお店なんですね。


只今 貴船神社では7月1日から8月15日まで七夕笹飾りライトアップを開催しています。

夕暮れから夜の8時までです。

石段

100円の短冊に お願い事を書きましょう♪

7月22日から28日まで&8月6日から12日までは

本宮にて手作り市を開催されるようですよ。

七夕

貴船は「水源の森百選」に認定されて川の景色がきれいですね。

貴船神社の始まりは古く 神武天皇の母 玉依姫が浪花の津(大阪湾)に出現。

水源を求めて黄船に乗って貴船川をさかのぼり 祠を建てたことに始まります。


水源1


貴船神社は賀茂川の水源に あたることから水を司る神

「高おかみの神」を祭神とします。

本殿

平安時代末期から明治4年まで上賀茂神社の摂社でもありました。

そのことからお賽銭箱の神門も上賀茂神社と同じ二葉葵が飾られていますね。


二葉葵

貴船神社が「恋を祈る神社」として知られるようになったのは・・・

貴船神社で願掛けをし 離れてしまった夫(藤原保昌)の心をとりもどした和泉式部の歌が有名です。

「もの思へば 沢の蛍も我が身より あくがれいづる 魂かとぞみる」

もの思いをしていると 川の上を飛ぶ蛍が
まるで我が身から抜け出た魂のように見えるわ・・・(ToT)/~~~。

恋の道

すると貴船の社殿の中から、返歌が聞こえてきました。

「奥山に たぎりて落つる滝つ瀬の 魂ちるばかり ものな思ひそ」

奥山の滝の水が飛び散るほどに 魂が抜け出てそんなに思い悩みなさるなよ・・・♪という意味です。

しばらくして願いが成就し 夫婦円満になったようです(^.^)

石碑

この和歌を詠んだとされる場所に石碑があります






伏見稲荷大社の田植祭・・・♪

6月10伏見稲荷大社の田植祭に行ってまいりました。

ご神前に日々お供えされるご料米の稲苗を神田へ植えるお祭です。

2人

神饌など神々へのお供え物をご料 そしてご料を調達する

場所や施設をご料地と呼びます。

4月に行なわれる水口播種祭(みなくちはしゅさい)で種おろしされ 成長した早苗を

神田に植え 豊かな稔りを祈願します。

本殿

午後の1時から本殿の前にある拝殿で神事が始まります。

この様子の写真撮影は禁止です。

皆さんがお賽銭を納めるところなので 込み合っていますが

静かに神事の様子を見守っています。30分位だったかな~

神田

本殿祭の後 2時から祭場は本殿の北東にある神田に移され 

田植えの準備をします。


準備

この日は雨が降りそうだったので祭場はテントが張られています。

やはり最初に神主さんにより神田のお祓いがされます。

お祓い

神田の端っこにある 水の取り口に斎串を立て

神田に流れる水を清めます。


いぐし

御幣櫃の中から早苗が取り出されます。


ごへいびつ

早苗は早乙女らに渡され田植えが始まります。


早苗

この方達は大阪府摂津市の信者たちでつくる

三島初穂講の男女約20人です。


かぐら

ご苦労様です。

頭にかぶっている傘を菅笠(すげがさ)といいます。


スタート

腰をかがめたままバックして行くので田んぼにつかった足が重

たそうです。


うえる

こちらの神田は100坪で150㎏のお米が収穫されます。

王朝をしのばせる優雅な御田舞(おたまい)が奏されます。


かざみ

この涼し気な衣装は汗杉(かざみ)と呼ばれる平安装束です。

お田舞歌・・1、やましろや~ 稲荷の神の御田祭り~


全体

いざもろともに~往きて舞はばや~伏見稲荷~

舞と音楽に併せて 早乙女らによって田植がすすめられます。

10月25日には成長した稲を刈り取るお祭り抜穂祭がありますよ。

ごへいびつ

11月の新嘗祭(にいなめさい)で 神殿にお供えされるのです。


黄色

田植祭が終わると雨が降り出してきたのでこちらの黄色の傘を

さして帰られました。



竹伐り会式・・・♪

6月20日 鞍馬寺である竹伐り会式に行ってまいりました。

伐る1

竹伐り会式は 災いを断ち切り吉事を招き 水への感謝や五穀豊穣

の祈りが込められているます。

多宝塔

出町柳から、叡山電鉄で鞍馬に行き 、ケーブルで 多宝塔がある所まで行けます。

こちらケーブルは唯一 宗教法人が運営しているもので乗車時間は 2分です。


ケーブル

少しのようですが 九十九折(つづらおり)参道を30分、歩くより ずーっと楽ですよ~

『枕草子』で清少納言が「近うて遠きもの鞍馬の九十九折の道」と記した参道

多宝塔から竹伐り会式が行われる本殿金堂まで石階段を登っていきます。


宝珠

竹伐り会式の起源は 宇多天皇のころ889~897年にさかのぼります。

鞍馬寺を管理していた 峯延(ぶえん)上人という東寺の高僧が

修行中に大蛇を退治したという故事がもとになります。


結界

初夏のある日 峯延上人が護摩の秘法を修していると

北の峰から大蛇が現れ上人を呑もうとしました。

峯延上人は秘密の真言を唱えて一心に祈ったところ大蛇は死んだ。


スタート

このことを 朝廷に申し上げると 50人の使いを賜り

大蛇は切られて龍ヶ獄に棄てられた。という。

雅楽隊

その後 もう一匹の大蛇が現れたが こちらは暴れることなく

鞍馬寺の香水(本尊 尊天にお供えする水)を 絶やすことなく

護ることを誓いました。

閼伽井護法善神

そのことにより閼伽井(あかい)護法善神として 本殿の東側に祀られました。

先に殺された大蛇は雄蛇であったことから 青竹を雄蛇に見立てて

伐るのが 竹伐り会式です。

僧兵たち

祭場には 雄蛇を表す根のない太い雄竹と 雌蛇を表す根付きの

細い雌竹の2種類が用意されます。

雄竹は五段に伐られますが 雌竹は儀式の後 元のように山に植え返します。

竹用意

江戸時代中頃から 近江座・丹波座にわかれ 伐る早さを競うようになりました。

祭儀中に竹を伐るのは2回で 伐り方も刀も異なります。

後の「勝負伐り」に備え両座の竹の条件を同じにするために伐り揃えます。

これを「竹ならし」と言います。

合図


「勝負伐り」では導師の檜扇を合図に 一気に伐り合います。


刀2


竹を伐る豪壮な男たちは 鞍馬の「七仲間」のメンバー。

古くから鞍馬では大惣(おおそう)・僧達(そうだち)・宿直(しゅく

じき)・名衆・脇・大工衆・大使の各仲間があり しきたりを今に伝えています。

弁慶かぶり

仲間によって役割が決っており 竹を伐るのは鞍馬寺と最もゆかりの

深い大惣法師仲間です。

竹を伐る山刀は正真正銘の真剣です。

間違いがないよう 竹を伐る仲間はおよそ一週間精進潔斎をします。


ポーズ

鞍馬寺の僧兵の衣装は正に 弁慶のようです。

麻の黒素絹(そけん)を着て 玉襷(だすき)を取り武者草鞋(わらじ)に

五条袈裟を弁慶かぶり。

皆さま 腰の南天の葉は災難を吉事に転ずる意味「難転」です。

それと大蛇退治の毒を消す意味もあります。

稚児1

牛若丸にふんした 七度半の御使いの稚児がかわいいです。

稚児が導師に「竹伐りの神事めでとう候」
丹波座に「近江座の竹見事に候」
近江座に「丹波座の竹見事に候」
両座に「竹ならしあげ候へ」などの挨拶をします。

南天

竹ならしと「勝負伐り」の間には雅楽 蘭陵王の「南天招福の舞」があります。


蘭陵王の舞

演者は若いきれいな女性でしたよ。

女性

今年も「勝負伐り」で勝ったのは丹波座でした。


勝った

伐り終わった竹を持った僧兵は早く終わったものから かけ声を

あげて本坊へと駆け込みます。

駆け込み

お天気もよく楽しみました~


プロフィール

ユキコ

Author:ユキコ
愛犬ポメラニアンのベルが大好き(2007年10月に天使になりました) 12年間勤めたDTP(印刷の前工程である版下制作)の会社を辞めた後、京都観光に興味を持ちました。そして第8回京都検定2級、第9回京都検定1級を合格しました。生まれ育った大好きな京都をご紹介いたします♪

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